そしてはてブは「通過点」となった
わたしはかつては情報の集積地としてはてなブックマークを使っていた。そこに蓄積する内容は実用を意識したものが多かった。でも今は違う。もちろん実用を意識したものもブックマーク(ブクマ)してるけど、それ以外の基本的には読み返すことがない「ちょっと言いたいだけ」のブクマが増えた。
いつからこうなったのか?
ハッキリと「いつ」かは思い出せないけど、一番の契機やっぱりTwitter連携が実装されたときだと思う。
Twitter連携が実装された瞬間にわたしの中ではてブは集積地ではなく「通過点」に変わってしまった。
もしわたしと同じような「通過点」はてブユーザーがTwitter連携後に増えたのだとしたら、実装前後で集まってくる情報の質って変わったのかな?ちょっと気になる。
情報の「調理法」が必要だ
日々情報を収集することン年という生活を続けているけど、それらを振り返ることについてはずっとおろそかにしているなぁと思う。
ふと立ち止まってこれまで自分が集めてきたあれやこれやを見渡してみると、「これはこれである意味ひと財産と呼べるのでは?」と思えるものが蓄積されていて、これを活用しないのは如何なものか。
ただ蓄積された情報は「ナマモノ」であり、そのままじゃなかなか食べられない。自分の好みにあった調理をしてこそおいしくいただける。
そう、その「調理法」が今のわたしに欠けているもので、今のわたしに必要なものなのだ。
と、ここで「それではわたしなりの調理法を披露いたそう」となると非常に“できる!”ブログ感が出るのだが、もちろん今のわたしにそんな技量はなく...。とりあえず課題が見つかっただけいっか。という歯切れの悪い結論に着地するに留まってしまうのがなんともはや。
わたし的今年一番のガッカリ廉価版「METAL GEAR RISING REVENGEANCE SPECIAL EDITION」に思う
今朝一番「ないわー」と思った事案。たぶん今週一番「ないわー」と思う事案になる気がする。
なんのことかというと、これ。
全てのダウンロードコンテンツを同梱した完全版「METAL GEAR RISING REVENGEANCE SPECIAL EDITION」 が登場!
いわゆる発売からある程度時期が経ったゲームの廉価版なんだけど、どこががっかりポイントかというと、
3.全てのダウンロードコンテンツがダウンロードできるプロダクトコード同梱
これ。
要は有料で配信してたダウンロードコンテンツ(以下、DLC)をおまけとしてつけまっせって話。
さすがにないわーと思いました。ちなみにこのDLCは3本あって合計で2300円相当。また上記のDLCに加えて購入店舗別に特典として配布されてたゲーム中で使えるカスタムボディとPS3用カスタムテーマも乗っける大判振る舞い。(カスタムボディは有料配信してない。カスタムテーマは初出、のはず)
定価よりディスカウントされた廉価版を発売することに関しては特に異論はないし、販売戦略として新たな追加要素を付加するのもわかる。廉価版が発売される流れは今どき普通のことだと理解した上で、それでもいち早くそのゲームを遊びたいから、そのゲームが好きだからファンは発売早々に購入してるはず。少なくともわたしはそうだ。
百歩譲って、ゲーム本編とは別の追加要素としてのDLCが別売りなのも許容しよう。そのゲームを長く遊ぶためだと考えたら多少の追加料金も払うよ。そのゲームが好きだったら。
でもさ、廉価版に有料DLC全部盛りは違うと思うの。これって初動に貢献したユーザー(ファンと言いかえても差し支えないだろう)をないがしろにしすぎじゃない?
しかも既存ユーザーに対する還元作は今のところ(2013年10月21日12時現在)はなし。
2013年上半期 PS3ソフト国内売上No.1に貢献したファンに対してあまりにもあまりにもでないですか?コナミさん。
ゲーム業界も厳しいらしいし、巨額の制作費をつぎ込んだ作品で少しでも回収しなければならないのもよくわかる。でも、だからこそ大事にしなければならないものもある気がするんだけどなぁ。こんな調子ではDLCどころか発売日にゲーム買わなくなっちゃう。
他の事例は把握してないけど、今回のようなパターンってよくあることなんかな?だとしたらなんだかなぁ。
世界からすべてのめんどくさいをなくしたい
「これやるのすげーめんどくさいんだけど、やったほうがいいよねぇ」ということが日常の中に多々ある。
わたしは生来のめんどくさがりやなのでめんどくさいことはやらない。
でもぼちぼちいい大人なので、めんどくさがってばっかりではいかんな、とも思う。
そこでどうしたらよいか考えた。
そしてひとつの結論を得た。
「めんどくさいことをめんどくさくなくすればよいではないか!」
これだけひらがなで羅列するとなんだかふっかつのじゅもんのようだ。
それはさておき、これは我ながらよい思い付きだと思うんだ。
はりきって太字にして文字色変えてしまうくらいテンションあがった。
人の進化はめんどくさいを駆逐することから始まる、と、どこかで読んだ。
そう、めんどくさいは駆逐できるのだ。
わたしはめんどくさいことはどこまでいってもめんどくさいことなのだと思い込んでいて、それをめんどくさくなくするという発想を持っていなかった。
もしわたしの世界からめんどくさいが消滅したらどれだけすばらしい世界になるだろう。
それが達成された瞬間、きっとわたしの人生のステージは遥か天空までジャンプアップすることであろう。
さぁ、世界からめんどくさいを駆逐しよう。
新聞をスミからスミまで読みますか?
近頃はだいぶ少なくなった感があるけど、まだまだ多い電車の中で新聞を読む人たち。
そんな人たちを眺めていて、「あのページをめくる音って意外と耳に付くよなぁ」とか思いながらふと、子どもの頃から疑問に思っていたことを思い出した。
「大人ってみんな新聞読んでるけど、あんなにたくさんの文字を毎日全部読んでいるんだろうか?」
大人になると文章を読むスピードが格段にアップして、きっと一部の新聞くらいサラッと読めてしまうのだろうと当時は思っていたが、大人になった今もわたしはあれだけの量の文字を毎日読み続けられる気がしない。それどころか新聞を購読してすらいない。
ふと、日ごろの自分の情報の収集について考える。
「そういえば、1から10までご丁寧に全部目を通すことなんてないな。興味のあるところだけをつまみ食いしてるだけだ」
そこで気づく、
「もしかして大人たちも同じように新聞を読んでたのでは?」
と。
もしそうだとしたら、すごく非効率なメディアだよね、新聞って。自分に必要ない情報がいっぱいだし、それでも料金は一律だし。ゴミは溜まるし、あげく報道の仕方が偏ってるなんて言われるし。
なんて、今更なことに気づいたり。まぁ、ネットだって「コツ」がわからなきゃ必要ない情報の量は新聞の比ではないし、偏りにしたって同じなんだけど。
でも実際のところどうなんだろう?みんな新聞をスミからスミまで読んでるの?どうなの?
なんという子どもっぽい質問。っていうか、子どものころの疑問なんだからそりゃそうか。
冴えない人間にとってのリーサルウェポンとしてのロックミュージック - アジカンデビュー10周年記念ライヴに思う
先週末に横浜スタジアムで2日間に渡って行われたASIAN KUNG-FU GENERATION(アジカン)のデビュー10周年記念ライヴに行ってまいりました。せっかくなのでわたしのアジカンリスナー暦も総括するつもりでつらつらと書いてみる。
続きを読むアジカン10周年記念本買ってきた
今年でデビュー10周年を迎えるASIAN KUNG-FU GENERATION(アジカン)。そのアジカンのデビューからこれまでをメンバーや彼らの作品のアートワークを担当する中村佑介氏、加えて親交の深いミュージシャン(ホリエアツシ氏・細美武士氏・金澤ダイスケ氏)が振り返る特集本が発売されたとのことでさっそく買ってきた。
わたくし、アジカンを割と早い時期からずっと聴いておりまして(古参風吹かしてすまん)、これまでのさまざまな試みにワクワクしたり、近頃はゴッチ(vo&G.後藤正文氏の愛称)の活動にハラハラしたりとかそんなこんなが積み重なって10周年を迎えられたということをいちリスナーとして大変喜ばしく思う次第であります。
さて、そんなアジカンの特集本ですが、まだ一部しか目を通してないけど非常に興味深く感じた。
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