美談による感動の搾取
ツイッター眺めてたら、
「小学校の時『一杯のかけそば』を読んで感想文を書けって言われて『店のかけそば3人で分け合うくらいなら家で作れば3人前作れるしそっちの方が良い』という感想書いたら先生にすごく怒られた」
という話が流れてきた。
これを読んでふと、こういうのって「道徳観の押し付けだよなぁ」と思った。
「一杯のかけそば」に感動しても、それを学校の授業で取り上げるのも、まぁ、良いと思うんだけど、一定の方向以外の感想を認めないっていうのは如何なものだろか。
昨今のメディアでもよく「美談」は取り上げられて、それを受け取った人が「この話に感動しないなんてどうかしてる」というような空気作ってしまうことがあるが、これは前述の小学校での出来事のようなことが土壌になって、そこから育った大人が原因で生まれてやしないだろうか。
こういう感動の同調圧力を「美談による感動の搾取」とでも名付けたい気分。