「公共の交通機関で子連れ客はどう振舞うべきか」の件に首を突っ込んでみる
近ごろ珍しく新幹線に乗る機会が何度かあった。新幹線なんてめったに乗らないもんだから片道1時間ちょいの移動でもそこそこテンション上がっちゃってウキウキ気分で列車に乗り込んだ。が、そんな気分は早々にしぼんでしまう出来事に遭遇した。
その出来事を端的に言うと近くの席に座ってた家族のお子様が非常に騒がしかったのだ。
具体的にどう騒がしかったのかというと、音量出しながらのDSのプレイにはじまり兄妹げんかへと続いて挙句の果てには高めのトーンで歌を歌いだす始末。同乗していた母親はしばしば注意するものの基本的には放置。あまりのフリーダムっぷりに血管ぶち切れそうになるほど怒ゲージは振り切れた。これは文句のひとつでも言うべきか?と思うも、あまりにナチュラルに騒いでらっしゃるので「わたしが考える乗車マナーはおかしいのか?」と混乱するほどであった。
程度は違えど似たような事態に二度ほど遭遇し、「やはりわたしの感覚がおかしいのか?」と思ってた矢先にTwitterで乗車マナーに関してホリエモンが炎上しているのを目にした。
炎上内容に関してはおいといて、ここで冷静に子連れ客の乗車マナーについてちょっと考えた。そんで得た結論はひとつだった。
子連れ客もそうじゃない客もお互いにもうちょい寛容に、そして自分が思うより一段階か二段階上のレベルで相手(周り)を気遣おう。
ひねりも何もない結論でバカみたいだけど、結局のところこれくらいしかないよなぁ。
他人の行動を不快に思う尺度なんてなんて人それぞれだし、マナーの定義だってけっこう曖昧で「空気を読む」レベルの話になることも多い中で「公共の交通機関で子連れ客はどう振舞うべきか」なんて明確に定義できないって。そもそもマナーの範疇を逸脱する行動をするのは子連れ客だけではないしね。
そう考えると自分が思うよりもうちょい気を遣うくらいのレベル設定で判断するしかないかな、と。
もっと言うなら子連れじゃない側は三段階ほど上のレベルで寛容になっても良いかもしれない。どれだけ大人が注意したところで、物分りの良い子ども怪獣なんてそうそういるもんじゃないしね。ちょいちょい話題になるベビーカーの問題にしてもそうだけど、少子化が進んでいる折ですし、そういう部分での子持ちの方々の生きづらさ和らげるマインドを社会が持つのも有意義なんじゃないでしょうか。どうしても当事者になると沸点下がりがちなのはわかるけど、そこは耳栓するなりの工夫で回避で。
とはいえ「子ども連れてるんだから周りは気を遣いなさいよ」となってしまうといらぬ軋轢を生むのでその辺はやはり気遣いあいというか。
今回の「議論」で「子どもを黙らせられないなら列車に乗るな」的な極論はなんだかなぁって思った。白黒付けるデジタル的な対応って簡単だけど危うくて、そういう対応が常な社会が進んでくといつか自分もそういう振り分けされそうだし、より生きづらさが加速する気がするんだよなぁ。
子どもをコントロールしきれない親も、それを非難する人もどちらかが善いか悪いかって判断しないほうが良いって。
なんだか日和見で優等生ヅラした回答だけど、わたしはそんな風に考えた。