おとなの「ゲームは1日1時間」
かつて高橋名人はこう言いました。「ゲームは1日1時間」。
子どもがゲームに没頭し、ほかの事が疎かになってしまうことに歯止めをかけるための呪文だ。
わたしは今この言葉を改めて噛みしめている。ただし当時とは若干違ったニュアンスで。
以前と比べるとゲームへの熱はずいぶんと冷めてしまったけど、それでも年に何本か、気まぐれに気になったものを手に取る。
でも忙しさにかまけてついつい積みゲーにしてしまい、その山はじわじわと高さを増している。それはそれで仕方ない部分もあるし、ゲームは別に無理してやるもんでもないので気にしなければそれまでなんだけど、やりかけになってることがあるのはちょっと引っかかる。そこで冒頭のフレーズ。
「ゲームは1日1時間」。
時間が有り余っていたころのようにガッツリと時間を取らなくてもいい。ただちょっとだけ、1時間くらいでもできる範囲で時間を作ろう。
かくして今のわたしにとっての「ゲームは1日1時間」はそんなニュアンスとなりました。