文章を書くことはマラソンと似ている
「文章を書くことはマラソンと似ている」
文章を書くという行為について、わたしはこんな風に感じている。
どんな文字数の文章であれ、書きたいと思ったことを文字にすることは苦しい。それが他者に対して可能な限り自分の意図したことが伝わるような形にしようと思えばなおさら。
自分が納得のいく文章の完成をゴールとするならば、そのゴールに辿りつくための過程はマラソンに似ている。
伝えたいことをより明確にするためにチェックポイントをいくつも通りゴールを目指す。
上り坂や下り坂、でこぼこ道やぬかるんだ道、あらゆる道をしんどい思いを我慢して我慢してひたすら走る。
早くゴールして楽になりたいがために、伝えたいことを“はしょる”というショートカットを選んだり、規定のゴールよりもずいぶん手前に、勝手にゴールを作るといった誘惑にも駆られたりもする。そうしてリタイアした「レース」もいくつかある。
厳しいレースばかりかと思えば、思いのほかすんなりと走り切れたり、思った以上のタイム(評価)が出るレースもあったりする。だが、そんなレースは今のところは稀だ。
わたしなぞ、まだ市民ランナーにもなれない体のなまった素人みたいなものだ。
そんなわたしにとって書くことはとにかくしんどい。でも走破した時は、それこそマラソンを走り切った時のような爽快感を感じるのだ。それを味わいたくて、わたしは今日もヒーコラヒーコラ走っている。