月がとっても蒼いからGO TO HEAVEN(HELL)【仮】

公開チラ裏のようなもの。自分語り上等

Re: 音楽の価値とは??

 音楽の価値とは - Broadcast To The Blog-
※1/24 1:53追記 リンク先でなぜか記事タイトルとURLが変更になっていたので修正。タイトルは初出時のままとした

 今の音楽を巡る状況を表す一例として非常に興味深く読んだ。

 先の筆者はこの状況に危機感を覚えているようだが、わたしは今の状況は音楽そのものにとってはそれほど悪いものではないと思っている。

 なぜなら、音楽とわたしたちの距離はかつてないほどに縮まっているからだ。

 例えばリスナーは、一昔のように好きなバンドや気になったバンドの音や情報を得るために奔走する必要がなくなり、非常に手軽にそれらにアクセスできるようになった。

 例えば演奏者は、かつては高額だった音楽ソフトは機能の向上に反して廉価となったことと、身近な存在となったスマートフォンやタブレット、それらに対応した手軽な操作のアプリの登場により、「鳴らす」ことが一層身近となった。

 これらの例は今さら語るまでもない事だろう。

 このように音楽との障壁の存在が薄くなり、音楽が特別なものではなくなり、想いのままに音楽と触れ合える日常。素敵なことじゃないか。音楽の本来の在り方とはこういうものなのではなかろうか。

 先のエントリーの件に戻り、本文の印象的な一言を引用したい。

「私は音楽が聴きたいの。音が悪くても良くても私には関係ないし、音楽だけ聴ければいいの。」

 この一言を取っても、彼女は現在の状況に適応し、彼女なりの方法である意味「純粋」に音楽を楽しんでいることが透けて見えないだろうか。彼女は音楽から離れるどころか寧ろ今ある身近な手段で音楽に寄り添っているのである。音楽自体の価値は変わらずそこにある。これのどこに問題があろうか。

 問題があるとすれば、音楽を売ることを牛耳ってきた者が、これまでの価値観や利益に固執するあまり「今」に合った売り方を作れていないことに問題があるのだろう。

 握手券を付けることも、複数バージョンの初回版を作ることも売り方としては否定はしないし、それで喜ぶ人がいて続けられるなら続ければ良い。

 でも、その一方で、もっともっと自由な売り方も生み出されて広がって欲しい。

 せっかくジャンルや、聴く方法、発信の手段などが多種多様となり、音楽への間口が広がり、音楽が純粋な音楽へと近づいている昨今、その灯火が消えないように、音楽への対価が適切に循環するような、柔軟な仕組みが整備されることを、いち音楽ファンとして切に願う。